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壁と卵
村上春樹氏のイスラエル最高の文学賞・エルサレム賞での講演をお聞きして感銘を受けた。
わざわざ栄誉ある授賞の場で、あえてあの発言をする行為に出た村上春樹氏に惜しみない賞賛と尊敬をおくる。

 中国新聞より
一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。

 一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

 一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

 一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。
 (引用終わり)


創価学会は民衆の正義ために立ち上がったはずだった。
今 公明党という私兵を作り与党へ入り政治への影響力も多大である。
さて、民衆は置き去りにされていないだろうか?

公明党が強力に推進していた定額給付金(定額減税)は国民の8割が反対している。
給付金や減税で消費をあげようという発想は間違っていないと思う。
ただ、その手続きや制度導入のための費用825億円、手続きの2転3転 地方への丸投げ問題は山積みだ。さらに昨年末に給付されたのだったら良かったのだが、救済目的だったら制度が実施されるのが遅すぎる。

また以前の地域振興券の悪夢からどうも国民に公明党へのアレルギー反応が顕著に出ている気がする。国民の8割が公明党にNOであるとは言わないが、その多くがもう公明党=創価学会の欺瞞に気がついている。

創価学会 そして創価学会員は卵ではない。壁側の人間だ。
私が考える卵とは 辞めたくても辞められない2世3世、心ならずも創価学会員と結婚してしまった婦人部、またうっかり創価学会員と関わってしまい酷い中傷や嫌がらせを受けている外部の人間だ。
私も 私こそ 何の力もないちっぽけな卵だ。今にも割られ壊されるかも知れないとビクビクしている。

でも、それでも言葉にしなくてはならない。
創価学会を経験して、被害者の苦痛が放置され見捨てられ無視されている現状、それを危険でも言葉にしなくてはならないと思う。それが人間としての誇りだ。

私たち普通の国民が政治にNOを言えるのは選挙だけだ。
そして創価学会に強烈なNOを突きつけることが出来るのは退会届だけだと思う。
内部で創価学会を変えることは不可能だ。トップが変わろうと大幅な変革は無理だろう。
変革しても世間からの信頼を得られるのは最低でも50年はかかるだろう。

私は壁側に立つ人を信頼しないし軽蔑するだろう。壁の崩壊も進んでいる。

free後記)2009.11.03
コメント欄でご指摘を受けていました「そして創価学会員は卵ではない」の記述について
文藝春秋20094月号に村上春樹氏の「僕はなぜエルサレムに行ったのか」インタビューが載っていました。
p166「システム」という言葉にはいろんな要素があります。
我々がパレスチナの問題を考えるとき、そこのあるいちばんの問題点は、原理主義と原理主義が正面から向き合っていることです。シオニズムとイスラム原理主義の対立です。そしてその強烈な二つのモーメントに挟まれて、一般の市民達が、巻き添えを食って傷つき、死んでいくわけです。
 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。
 オウム真理教事件がその典型です。僕は地下鉄サリン事件の被害者にインタビューして『アンダーグラウンド』を出した後、信者たちからも話を聞いて『約束された場所で』にまとめました。その後も東京地裁、高裁に通って裁判を傍聴しました。実行犯達はもちろん加害者であるわけだけれど、それにもかかわらず、僕は心の底では彼らもまた卵であり、原理主義の犠牲者だろうと感じます。僕が怒りを感じるのは、個人よりはあくまでシステムに対してです。

という一文がありました。ですから村上春樹氏の文を引いて「そして創価学会員は卵ではない」としたのは私の間違いです。しかし私は村上氏ほど寛容ではないからシステムに魂を売ってしまった人たちは卵とは言えないと考えています。
ご指摘下さった基本的に木曜日のみカキコ可さんに感謝致します。
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【2009/02/18 10:06】 | カルト | トラックバック(0) | コメント(23)
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コメント
内部で変えるなんて、自分も言われた事ありますけど…。100年後でも無理です(笑)
だって…池田センセイ第一ですからね~
その証拠に、どこかの県の集まりで「池田センセイ、万歳!」ってやってたじゃないですか?
池田大作先生は、他の週刊誌にすっぱ抜かれている通りの姿そのものではないですか?
違うって言うコメントは、無いと思います。なぜなら「創価学会員は、ネットを見てはいけない」んですからね~。堂々と反論じみたような屁理屈書いてる方は、患部に指示を仰いだ方がいいと思います。

【2009/02/28 22:05】 URL | max #-[ 編集]
初めてコメントします。
私はアンチの学会三世です。
ネットで訴える事は大事だと思いますが、あまり無理をしないでください。
嫌がらせとかが、有るらしいので心配です。
【2009/03/06 01:09】 URL | あき #-[ 編集]
あきさん

青年よ、仏敵を打ち砕け。 学会迫害の悪人は厳罰でのたれ死ぬまで攻め抜け
04年11月18日 聖教新聞

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AB%96%E5%87%BA%E7%89%88%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

創価学会では言論妨害出版事件でも解るように批判者への組織的執拗な嫌がらせを行っています。

http://news.ohmynews.co.jp/photo/20080625/26745
http://news.ohmynews.co.jp/photo/20080625/26744
矢野元公明党委員長も嫌がらせを受け尾行され、メモを奪われた際「土下座しろ」「○億財務しろ」などと恐喝を受けた事実を公表しています。

心配して頂くお気持ちは有り難く思いますが、創価学会は巨悪です。
誰かが声をあげる必要があると感じます。

私はネットでも リアルでも色んな事がありました。実際、blogも止めようとアナウンスもしました。それでも創価問題を訴えることを辞めなかったのは 多くの人が「死にたい」「創価学会を辞めたい」「気が狂いそう」と私に訴えてくるのです。その方々を見捨てることが出来なかったのです。

ひとりの力は弱くても、ひとりひとりが声をあげれば大きくなります。
無関心であること、あきらめることが一番良くないと思います。
【2009/03/08 11:17】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
コメントありがとうございます!
そして返信遅くてごめんなさいm(__)m
あきらめと、無関心が一番悪いですよね!
私も、周りの人間には「誰に入れても良いから選挙には行ってくれ」と、訴え続けています。
それと、最近、男子部の会合に顔を出し始め、一人づつ逆折伏して行こうかと思っている今日この頃です。^^;
しかし、久し振りに会合に出てみると、以前よりカルト色が濃くなっている様な気がしますね
自然淘汰的に学会自体がなくなる日も近いのかも知れないですね

【2009/03/14 00:42】 URL | あき #-[ 編集]
あきさん お返事が遅いのは私も同じです。
たぶん 4月には入れば少しは余裕が出てくるのでしょうが、今は年度末で時間が余り取れませんのでお返事が遅れることをご了承下さい。

「選挙に行こう」とは私も呼び掛けています。
でも創価学会の中で育った方はやはり何の疑問もなく「公明党」に入れるようです。

逆折伏は あきさんが心配です。

いままで多くの方々が内部で改革しようと反旗を翻しましたが、すべて潰されました。
http://dakkai.org/seikansho.html
福原源次郎 誠諫の書

池田大作氏 創価学会に反抗した人たちは内部でも獅子身中の虫と口を極めて罵られます。
大分の青年部幹部が執行部批判をして除名されています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1420324744
【2009/03/16 21:47】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
freeさん、初めまして。「基本的に木曜日のみカキコ可」と申します。私の状況はこのハンドルネームの通りで、たまにfreeさんのブログを見させて頂いているものです。

今回、村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチを引用されていたので、読ませて頂いたのですが、「あれ?」と感じておりました。その理由は全文スピーチを違う所(finalvent氏が試訳したもの:http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-1345.html)で先に読んでいて、後からfreeさんが引用した中国新聞の要約を見たからでした。

全文スピーチと中国新聞の要約の大きな違いの原因(と私が考えているの)は、

>ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。

の所だと思います。私は、最初この全文スピーチのここを読んだときに、ちょっとショックでした。たいていの世の中の人は「自分は正しいor 正しい方の味方」じゃないのかと思っていたからです。
でも、村上氏は「卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます」と言い切っているのです。

村上氏のスピーチに則ると、壁つまりシステムは創価学会で、卵は創価学会員(バリも非活も)になりませんか?

ただ、じゃあ、外部の人間は?と、言うとこれも卵なんでしょうね。つまり、個々人の人間はみんな卵になってしまうんですよね。

バリ学会員(卵)は創価学会という壁(というよりシステム)によってバリになっていると言うわけでしょうか?最後の方で、卵とシステムの立ち位置を変えなさいと村上氏は言っているわけですが・・・。

結構深いスピーチだと思っておりますし、未だに、どう自分の中で消化すべきか思いあぐねています。

いや、誤解して欲しくないのですが、私はfreeさんの意見に反対だと言っているのではありません。中国新聞の様に要約してしまうと、村上氏の表現したかったことががらっと変わることを気づかされたのと、しかし、だからといって、全文(訳)を見た後も、私の中でうまく消化できないもどかしさがあることを言いたいのです。

もし、全文(訳)を見ていないのでしたら一度ご覧になる事をお奨め致します。
長文のコメント失礼致しました。村上春樹教に洗脳されかかっている「基本的に木曜日のみカキコ可」でした。
【2009/04/02 22:57】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
こんにちは 基本的に木曜日のみカキコ可さん

お名前は以前出入りしていた掲示板でお見かけしましたね。私のblogまで見て頂いていたとは汗顔のいたりです。滝汗)

私がこの記事を書いたときは全文訳が見あたらなかったので 要約文添付しました。
URLのご紹介、ありがとうございました。

>たいていの世の中の人は「自分は正しい or 正しい方の味方」
そう思うのですが、でもガザの人だけに目を向けたら いくらロケット弾でイスラエルを攻撃していたからと言って 力の強い兵器を沢山持っている人達が無力な人たちを殲滅するように殺して良いようなことだろうか? と思っています。
ユダヤ人がかつてナチスにされた同じ事を。

私は「正しい事って何?」といつも考えています。いくらなんでもソレハしてはいけないだろう 壁の人たち=イスラエル人 って事ではないのかしら。

創価学会側が壁というのは私も同じ認識です。でもバリ創価学会員さんは卵というより壁を自分の身体を犠牲にして守る人たちのような認識です。
そして創価の多くの人たちは自分たちは宗教的弾圧をされている犠牲者だと声高に主張します。迷惑しているのは独善的な人たちに関わった普通の人だなんてこれっぽちも考えません。卵だとしても生卵ではなく固ゆで卵のような 笑)

ごめんなさい、「基本的に木曜日のみカキコ可さん」が要約とご紹介頂いたURLの訳を読まれて
「村上氏の表現したかったことががらっと変わる」ことを私は感じられなかったので もうちょっとご説明頂けますか?
【2009/04/03 12:28】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
>たいていの世の中の人は「自分は正しい or 正しい方の味方」

今週これについて 結構考えていました。
正しさってなんだろう と。

日本では「勝てば官軍」の言葉通り、強い者に迎合する事が多いですよね。今までは創価学会はまさしく官軍だったのです。

「正しいから行動を起こす」などと革命家達は考えたのでしょうか?
今の生活があまりにも酷いから、なんとかして権力側にNOを突きつけたかったのではないでしょうか?革命が成功すれば正義にもヒーローにもなれますが、失敗すれば自分以外の仲間・家族を巻き込む悲惨な死が待っています。

私がblogをはじめたのも、2世3世や退会者やパートナーが学会の人達の あまりに悲惨な状況を理解しているからでした。
「これはあまりにも酷い」と感じたからです。

正しいと一般的に評価されないことでも あまりに酷い状況を目の当たりにしたときに何らかの行動を起こすことが大事ではないでしょうか。
正しいとか正しくないとかは 時代や世論や法律等々様々な要素が 【後から】判断することだと感じております。

【2009/04/07 14:12】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
ご返答遅れて申し訳ありません。「基本的に木曜日のみカキコ可」ですので、木曜日にやってきました。

ちょっと長くなりそうですが、書き込みさせて頂きます。書き込み文字数制限があるのかどうかわかりませんので、何個かに分けて投稿してみます。

え~と、取り敢えず、「正しさ」に関して、あくまでも私の考えを書いていきたいと思います。

まず、「正しい」と言う言葉を使う時にまず気にとめるようにしているのは「誰にとって」かと言うことです。
自分にとって「正しい」と思うor思える事なのか、他人や世間一般から見て「正しい」と思うor思える事なのかは、本来、別の結果が導き出される可能性がありますので、区別して頭の中で整理する必要があるのではと思います。

また、「正しい」の反対は誤っている・間違っている・正しくない、かな? で、ここは、せっかく村上春樹氏のスピーチに関しての記事ですので、村上氏の
>ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。
をつかって、「正しい・間違っていない」と「間違っている・正しくない」を使ってみたいと思います。

もちろん「正しい」と「間違っていない」は厳密な意味でイコールでなく、同様に「間違っている」と「正しくない」も厳密な意味でイコールではないのですが、そこは、今回取り敢えず気にしないことにします。


たとえば、自分の行動・選択に関して判断・決断するとき「正しい方」をえらびませんか?もちろん、100%正しいと思える選択枝がいつもあるわけではありませんので、結果、その時点で「正しい方」or「より正しい方」を選ぶと思います。この時、何に照らして(法律・道徳・教義・親の言い付け・自分のキャラ・自分の命etc)正しいのかは、その時々で分かれますし、また、後で後悔するときもありますが・・・。
でも、間違っている方を選ぶ時、例えば、法律に違反する事をあえて選択するときもありますが、でも、その時は、何か理由があるわけで、その理由、例えば「誰かの身代わり」だったり「そっちの方が自分の家族に有利になる」とかあります。で、何かの理由が自分の選択を正当化することになるので、その何かの理由も「正しい」理由になるんじゃないかと思います。で、なんと言いましょうか・・・「間違っている」or「間違っていると思われる」選択枝を選ぶより、何とか理由を見つけ出してでも・何とか正当化できるへりくつを作り出してでも「正しい方」or「より正しい方」を選ぶほうが自然だと思うのですが如何ですか?とりあえず、私の今迄選んできた選択肢は、その時点で私が「正しい方」or「より正しい方」と思う方を選んで来ました。(も・ち・ろ・ん、後で後悔することはいっぱいありましたが・・・)


ちなみに、freeさんにとって、ブログを書き始め・書き続けていることは「間違ったこと」ですか?違いますよね。現時点までは、freeさんにとってはブログを書き始め・書き続けていることは(バリがなんと言おうとも)「(より)間違っていないこと・正しいこと」ですよね。(後悔している書き込み・記事はあるかもしれませんが・・・)
【2009/04/09 22:15】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
つぎに、自分以外の他人の行動・選択についての判断です。他人の行動・選択なので自分に関係なければ「スルー」するという選択肢もありますが、取り敢えず、ここでは、「正しい」のか「間違っているのか」判断する時を想定します。これも、「正しい」のか「間違っているのか」判断する時までに得られた情報を元に、「正しい方」or「より正しい方」を選びませんか?で、も・ち・ろ・ん、後悔することはあります。でも、その時点で「間違っている」or「間違っていると思われる」選択枝を選ぶより、何とか理由を見つけ出してでも・何とか正当化できるへりくつを作り出してでも「正しい方」or「より正しい方」を選ぶほうが自然だと思うのですが如何ですか?

で、ですね、例えば、AさんとBさんがケンカをしているとします。その時私がどちらかの味方をするならば、私の目から見て(より)正しい(と思う)方の味方をします。そこで、事情を知らないCさんが来たとすると、私は「Aさんの方がこれこれこういう理由で私は正しいと思うんだけど」と言って、Cさんも味方にしようとします。ここで、実は、味方にしようと私が説得し、それにCさんが同意してくれることは、仲間を増やすこと以外に、私の判断が正しいということを確認する作業でもあります。だから、Cさんが仲間になってくれたら自分は間違っていないと思うことも出来ます。(折伏に成功したバリさんと思ってもらっても良いです。)。だから、より「自分の判断が正しい」と思いたくて、他の人も説得しようと頑張っていけます。でも、ひょっとしたらCさんは私の言ったことを受け入れずに、Bさんの方につくかもしれません。どんどんBさんの仲間が増えていくかもしれません。でも、私が「でも、やっぱりAさんが正しい」と確信出来るなら(思いこめるなら)ば、たとえ味方がいなくても頑張っていけます。(学会で言うと、正しい教えに対しては、常に迫害がある。迫害があるからこそ正しい。みたいなものですかね。)つまり、「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」と言うことを基準におく限りにおいて、それだけで味方がいようがいまいが、かなり無限に頑張っていけます。

ただ、私のような人がBさん側にもいたとすると、つまり、「Bさんは正しい」と思う人がいたりすると、おそらく、その人と私は意見を同じにすることは出来ないわけですから、いつまで経っても平行線となってしまいます。よくネットで見られるバリとアンチの討論の様なものです。

で、たいていの人は生きていく上での分岐路(日々の日用品の買い物から、進路・就職選択まで)においては、その時点で「自分が正しい」と思った選択枝を選んでいると思いますし(も・ち・ろ・ん、後で間違ったと思うことはあっても)、ましてや、「自分が正しい」と思ってること(思いこんでいることかな)について、他の人から「あんた間違ってるよ」と言われた日には、絶対自分の持論は曲げることが出来なくなります。(アンチに否定されるバリのように)。

結局、これが、つまり、「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」ということを基準におくことが、世の中にある紛争が拡大していく多くの原因になっているんじゃないかと感じております。
【2009/04/09 22:17】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
で、そこで、村上氏のスピーチです。彼はなんと

>ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。

と言い切ってしまいました。「まじ~~~~、そうくるか!?」が最初の私の感想です。



さて、村上氏の全文スピーチ(試訳)を読んでなくて、中国新聞の要約だけを読む場合ですが、つまり、

>わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても((後で壁が正しいというふうに現在の他の人たちがや後世の人が決めても))、((現時点では卵の方は間違っていないとわたしは思っているんだから))わたしは常に卵の側に立つ((だって、わたしは卵が正しいと最初に思ったから、誰になんと言われようが卵の見方さ!!!))。

という風に((カッコ))を予想しながら読めてしまいます。「どちらが正しいか歴史が決める」というフレーズは、「今は反対する人が居るけど、そのうち俺が正しいのがわかるんだから」という意味を込めることが多いと思います。(それは、あんたの妄想だ、と言われるとつらいのですが・・・)。

で、中国新聞の要約の様にだけ最初に言ったとすると、たいてい「でも、あの卵のあそこの部分は間違ってるよ」というつっこみが入って、「いや、だから、あそこでなくて、ここが正しいんだ」といった言い訳が始まってグダグダになってしまいがちです。

「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」はどちらの陣営からも取り敢えず具体的な事柄として挙げることが出来ます。そしてたいていの場合は、100%正しい卵はなく、また、100%間違っている卵もないわけで、実際は、グダグダになっていってしまいがちです。

だから、味方につくかつかないかの基準として「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」を使わないと宣言した

>ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。

は衝撃的だと私は思いました。
そして、「村上氏は、間違っている(と思っている)方の味方をするには、どうやって心の判断基準を組み立てるのだろうか?」と思いました。
【2009/04/09 22:17】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
さて元々、壁と卵は比喩なのですが、ここで、果たして何の比喩なのかと思うわけです。
全文スピーチ(試訳)では、

>ガザで荒れ狂う激戦です。国連の報告では封鎖されたガザ市街で千人以上が命を落としました。
・・・
>「私が、高く堅固な一つの壁とそれにぶつけられた一つの卵の間にいるときは、つねに卵の側に立つ。」

と来ていますから、ここまででは、普通は「壁はイスラエルの方で、卵はガザの方かな。お、イスラエル領土内でのスピーチなのにガザの味方をするのか、大丈夫か?」と私は思っていました。そしたら、

>ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。

ときたので、「壁、つまり、イスラエルが正しくて、卵、つまり、ガザの方が間違っていても、ガザの味方をするのか?どうしてだ。いや、まてよ、壁と卵が意味しているのは別のものなのか?」と言うことで、先を読みました。


さて、私がこの先の部分を読んでの私なりの解釈を挙げていきます。
でも、その前に、このイスラエルとガザでの紛争での登場人物(壁と卵になる予定人物)を挙げる必要があるでしょう。

この、ガザおよびパレスチナがある地域は歴史的にも複雑で、次に挙げる呼び名が完全に正確ではないかもしれませんが、一応簡単に挙げておきます。

(グループ「イスラエル」)ユダヤ人であるイスラエル人と、イスラエル人を守るために存在する国家であるイスラエル。

(グループ「パレスチナ」)第二次世界大戦後にイスラエル人にパレスチナから追い出されたアラブ人と、アラブ人を守るために存在する(と思われている)パレスチナ自治政府およびハマスなどの政党・組織。本来はパレスチナはイスラエルの国土がある所だけど、こっちのアラブ人達の方をみんな、パレスチナ側と言っているので、ここでもパレスチナ側とする。

で、現在観察される事象はグループ「イスラエル」とグループ「パレスチナ」の争い。

で、とっちのグループが100%悪者なのかは、よくわからん。ただ、言えることはどちらのグループも戦闘部隊がある。ただし、グループ「イスラエル」のほうは正規軍で金もあるみたいで戦闘機やら飛び道具をいろいろ沢山持っている。グループ「パレスチナ」の戦闘部隊はハマスなどの非正規軍で、ロケット砲とか自爆テロで攻撃している。で、お互いにお互いを攻撃している。で、攻撃には犠牲が付き物で、現状両者が主張しているのは「あっちが攻撃して、こっちに犠牲が出たから、こっちは報復する」と言うこと。なので、報復の連鎖なんて言われる。こっちの報復の結果が、あっちの報復の原因になるので、いつのまにやら、どっちのグループも加害者で被害者になっている。イスラエルの方が正規軍なので、本気の攻撃モードに入ると、空爆できるので1回の攻撃での犠牲者の数がすごく多くなる。なので、イスラエルの方が悪者みたいに報道されることが多い。

私の抱いているイメージはこんな感じです。
【2009/04/09 22:18】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
さて、村上氏の全文スピーチ(試訳)では

>壁には「大いなる制度(ザ・システム)」という名前がついています

とあるので、これを用いると壁と卵の配役は

イスラエル政府と正規軍:壁
イスラエルの非戦闘員:卵

パレスチナの自治政府やハマス:壁
パレスチナの非戦闘員:卵

です。で、ここで、難しいのが実際に攻撃をしている人たち、つまり、直接的に見えるのはイスラエル側では戦闘機のパイロットであり、パレスチナ側ではロケット砲の引き金を引く人や自爆テロ犯です。

>高く堅固な一つの壁とそれにぶつけられた一つの卵の間にいるときは、

との村上氏のこのフレーズだけ取ってみると、ぶつけられ(そして砕け散った)『卵』は攻撃を受けて負傷・死亡した非民間人になり、砕け散る原因となった/負傷させる攻撃を行ったのはパイロットであり自爆テロ犯なのでこちらは『壁』になりそうですが・・・

でも、村上氏はパイロットや自爆テロ犯も『卵』と想定していると思われます。
何故かというと、『壁』の定義として

>壁には「大いなる制度(ザ・システム)」という名前がついています。「大いなる制度」は私たちを守ろうと期待されている反面、時に独走して、私たちを殺害しはじめ、他国民を殺害するように仕向けます。

ここで『壁』はシステムと言い換えています。そして、他国民を殺害するように仕向ける存在です。では、「他国民を殺害するように仕向け」られるのは誰なのでしょうか?

>私たちは「大いなる制度」とやらに搾取されてはなりませんし、
ここの部分の原文は
>We must not allow The System to exploit us.
「us」は自分つまり村上氏を含めた仲間を言っているわけですし、村上氏は卵の味方をすると宣言してますので、「us」は村上氏と卵です。「exploit」は「利用する、搾取する、使役する、搾り取る、食い物にする」と言う動詞です。Finalvent氏は「搾取」を選びましたが、「利用する」を選ぶとどうでしょうか?「システムが卵を利用することをはゆるさん」となり、どんな風に利用するかと言えば「他国民を殺害するように仕向ける=パイロット」ことになりますし、「私たちを殺害しはじめ=自爆テロ犯」となります。

ですので、パイロットや自爆テロ犯も『卵』と想定していると思われます。
【2009/04/09 22:19】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
ちなみに、村上氏のお父さんが供養していた対象は

>父は、死者すべてを供養するのであって敵も味方も同じだと言いました。

とのスピーチにもあるように、システムによって利用された人は敵も味方も戦闘員も非戦闘員も『すべて』を『卵』としないと辻褄が合わなくなるように思いませんか?


ですので、ここまでをまとめると

イスラエル政府と正規軍:壁
イスラエルの非戦闘員:卵
イスラエルの戦闘員:卵

パレスチナの自治政府やハマス:壁
パレスチナの非戦闘員:卵
パレスチナの戦闘員:卵

となります。
そして、村上氏の敵?となる『システム』は人の手を離れても機能する政府や軍やハマスです。で、その『システム』を取り仕切っている官僚・政治家・軍人や一見関係ない非戦闘員の一般市民もみんな「人間」は『卵』になります。

駄目でしょうか?戦闘員はやっぱり悪者でしょうか?パイロットが操縦する戦闘機に攻撃されて負傷したパレスチナ人にとっては、その戦闘機に乗っていたイスラエルのパイロットは直接的な「悪者」です。自爆テロに巻き込まれて負傷したイスラエル人にとっては、爆弾を抱えていたパレスチナの自爆テロ犯は直接的な「悪者」です。これら、パイロットや自爆テロ犯は相手を負傷・死亡させたわけですから、彼らは間違っているのでしょう。

そこで、最初の所に戻りますが、

>ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。

どうでしょうか?間違っているパイロットも自爆テロ犯も『卵』として味方すると言っています。どうしてかというと、その間違った『卵』が間違った行いをした原因は『システム』にあるからです。だから、間違った行いを『卵』にさせる『システム』こそ本来の敵?なのであると言いたいのだと思います。ちなみに、『システム』が正しい処理をした結果が相手への攻撃になっていますので、報復の連鎖状態においては、報復しない『システム』は間違ったシステムになりますし、報復する『システム』は正しいシステムになります。
【2009/04/09 22:20】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
そして、もう一つ、

>父は、死者すべてを供養するのであって敵も味方も同じだと言いました。

から、敵も味方も同じとしています。つまり、イスラエルの『卵』もパレスチナの『卵』もみんな同じ『卵』として味方するとなりませんか?
そして、イスラエルの『壁』もパレスチナの『壁』もどちらも同じ『壁』としています。


で、スピーチの最後のあたりの

>もう少し考えてみてください。誰だって自分の存在は疑えませんし、生きていると確信しています。「大いなる制度」はそれとはまったく違う存在です。私たちは「大いなる制度」とやらに搾取されてはなりませんし、独走させるわけにはいきません。「大いなる制度」が私たちを作ったのではなく、私たちが「大いなる制度」を作為したのです

のところは、イスラエルとパレスチナという区分はなくなっており、『システム』と『卵=人間』としていますよね。そして、「『システム』が正常に働くことで『卵』が傷つく」という状態は解消されるべきと言っています。




以上を創価に当てはめると
創価学会という『システム』に被害を受ける非学会員は『卵』で、そして、創価学会という『システム』によって搾取・利用されているバリもまた『卵』になりませんか?


「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」の価値基準を使っている限り、創価側とは平行線なのはよくわかっています。いや、一部の創価の人に、「真実の情報」を与えて覚醒してくれる人も居ることにはいますが、どっぷりはまっているバリの人に下手に「真実の情報」を与えるのは危険だと思っております。それは、つまり、どっぷりはまっているバリの人のそれまでの創価人生、二世三世ならその人の全人生を否定しかねないからです。これは、“おかしく”なってしまうリスクが極めて高いんじゃないかと感じております。

ですので、私としては“次の一手は?”と、思いあぐねているのが現状でした。
なので、「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」の価値基準を使わない村上春樹教の教義は魅力的に見えます。
ただし、こっから先は前回書いたように、私の中では未消化の部分です。つまり、「バリを『卵』と見なして、私がバリの側に立つならば、次に私はどうすれば良いのか?」の答えがはっきりしないからです。

以上が、村上氏の全文スピーチを読んだ感想です。

決して、freeさんも私と同じように感じれ!!と押しつけているわけではありませんので、御高配の程、宜しくお願い致します。

長文になり申し訳ありませんでした。失礼致します。
【2009/04/09 22:21】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
>ご返答遅れて申し訳ありません。「基本的に木曜日のみカキコ可」ですので、木曜日にやってきました。

こんにちは、お返事が遅れているとは思っていませんよ。木曜日に書き込みをされるだろうと 私もゆっくりお返事しています。

丁寧にご説明ありがとうございます。お陰様で「村上氏の表現したかったことががらっとかわる」と言うことが良く解りました。

>ちなみに、freeさんにとって、ブログを書き始め・書き続けていることは「間違ったこと」ですか?

 損な役回りだと思っています。いつなんどき創価学会(壁側)の報復があるか解りませんし。「正しいからやっている」とは考えていませんよ。創価学会体験のお陰で「正しいからと他人に押し付けてはいけない」といつも戒めています。(相談者への思い入れがつよくて押し付けていると見なされる経験はあります。) 人にもよく話すのですが、「自分は間違っているかもしれない」という恐れを持ちつつも、選択した道を行くしかないのではないだろうかと考えています。創価問題を取り扱っているのは、「乗りかかった舟」です。^^ 立場によって正しさとは変わってくるとご指摘の通り考えています。

 ただ創価学会=公明党が政治に参加していることは「間違って」います。
信仰の延長線上に政治活動があると、信者一人一人の判断が教祖や組織に(かれらは 絶対正しい)とゆだねられてしまうので健全な社会ではなくなっていくからです。

>「自分が正しい」と思ってること(思いこんでいることかな)について、他の人から「あんた間違ってるよ」と言われた日には、絶対自分の持論は曲げることが出来なくなります。(アンチに否定されるバリのように)。

自分の中に一定の基準があり社会にも秩序があったら、自分の基準や社会のルールから逸脱していない限り「正しい 間違っている」は保留状態に出来ると考えています。言われ方にも相手との信頼関係にもよるのですが「間違っている」と言われて、「そうかもしれない」と立ち止まって考えることは結構みんなやっているのではないかなぁ。創価学会の人はこの基準がないのですよね。だから組織の言いなりになってしまう。
【2009/04/14 17:39】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
>結局、これが、つまり、「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」ということを基準におくことが、世の中にある紛争が拡大していく多くの原因になっているんじゃないかと感じております。

愛国心を公明党は否定していますよね。
愛国心は戦争を拡大させるものと 社会党も共産党も否定しています。
でも 自国にどんどん軍事的脅威をしめされ 領土が取られていたら、やはり愛国心は芽生えてくるし紛争、戦争になると思います。「戦争は絶対してはいけない」「戦争こそ悲惨なものはない」と言っても自分たちの権利を強奪されては怒りが出てきますね。
結局 隣国や隣人が一方的、暴力的に自国や自分の当然の利益・権利を奪い取ろうとすると、制裁、自衛は必要になってしまうと思うのです。
イスラエルはアメリカの強力な後ろ盾でパレスチナに後から入り込んで、国を建国したのですよね。やはり私はパレスチナ人に同情的です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E5%95%8F%E9%A1%8C

村上氏は 「システム」につかず「卵」について 理解や思いやりを深めて争いを回避しようと言っているのですよね。たがいに「譲り合うこと」が前提ですが、自分をパレスチナ人に当てはめると難しいです。

>>どちらが正しいか歴史が決めるにしても((後で壁が正しいというふうに現在の他の人たちがや後世の人が決めても))、((現時点では卵の方は間違っていないとわたしは思っているんだから))わたしは常に卵の側に立つ((だって、わたしは卵が正しいと最初に思ったから、誰になんと言われようが卵の見方さ!!!))。

>「今は反対する人が居るけど、そのうち俺が正しいのがわかるんだから」という意味を込めることが多いと思います。(それは、あんたの妄想だ、と言われるとつらいのですが・・・)。

ここは私は村上氏はたとえ誰から非難されても 悪党とされても無力な卵の側に付くと読んでいます。「正しい」「間違っていない」ではなく そっち側に付かざるを得ない突き動かされる衝動的な気持ちがあると思えるのです。

>創価学会という『システム』に被害を受ける非学会員は『卵』で、そして、創価学会という『システム』によって搾取・利用されているバリもまた『卵』になりませんか?

バリ創価学会員も村上氏のスピーチでは卵です。
私は先週から考えていました。壁側の戦闘機の中のパイロットは 卵だろうか?
武器を持たない人達に銃を向ける人たちは卵だろうか?

やはり 「システム」に操られる人たちは卵とは言えない というのが私の結論です。
ですから村上氏のスピーチを引用して 創価学会、創価学会員=壁側としたのは私の間違いです。
【2009/04/14 17:42】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
>どっぷりはまっているバリの人に下手に「真実の情報」を与えるのは危険だと思っております。それは、つまり、どっぷりはまっているバリの人のそれまでの創価人生、二世三世ならその人の全人生を否定しかねないからです。これは、“おかしく”なってしまうリスクが極めて高いんじゃないかと感じております。

経験上その通りです。創価学会員といってもいろいろですが、「平和や人間愛を謳いながら、他人の自由や権利を奪う」創価学会システムの欺瞞に耐えきれず自分の中の創価学会的要素を否定していない人はバリ 非活 幽霊関係なく創価学会員だと私は思っています。そして活動は全くしていなくても創価学会の影響を多く受け、やっぱり「おかしく」なってしまう人は大勢います。

>ですので、私としては“次の一手は?”と、思いあぐねているのが現状でした。
なので、「正しいか正しくないか、間違っているか間違っていないか」の価値基準を使わない村上春樹教の教義は魅力的に見えます。
ただし、こっから先は前回書いたように、私の中では未消化の部分です。つまり、「バリを『卵』と見なして、私がバリの側に立つならば、次に私はどうすれば良いのか?」の答えがはっきりしないからです。

「自身の存在と他者の存在をかけがえなく取り替えのきかないものであると確信することからであり、心を一つにつなぐことのぬくもりからです。」
と村上氏は言っていますが、創価学会は非学会員の譲る気持ちやおもいやりを利用して大きくなってきました。創価学会に限っては気がついて互いに思いやりを示す人たちには心を一つにつなげるが、気がつかない人たちはほっておくしかないのではないかと考えています。

そして創価学会という「システム」が実社会に影響がないほど小さくなるように、多くの人たちに実態を知ってもらうことが「次の一手」ではないのだろうか?と思います。「次の一手」というよりは、かなりネット社会では浸透してきました。

せっかくの村上氏のメッセージを全く受け取っていないとお叱りを受けるでしょうね。
ただ、チベット、ダライラマ氏の例もあるように侵略する国家に対してただただ寛容だけでは蹂躙されるだけです。私は今のところ自分の利害を侵略する人たちには、抵抗を試みるだろうと考えています。但し相手が「互いに卵だと言うことに気がつき、自分たちの行為を心から後悔し懺悔したら」許す事の出来る人間でありたいと思います。

私も思考の途中です。本当に「どうしたら 日本は再生出来るのだろう?」と頭が痛いです。
だれか、とても魅力ある哲学とリーダーシップを取って頂きたいと思うのですが、それに盲従してしまうと創価学会と同じ轍を踏みますし。

今回は私の勘違いを 我慢強く ご教授下さりありがとうございました。
【2009/04/14 17:47】 URL | free #JalddpaA[ 編集]
freeさん、ご返事ありがとうございました。

>気がつかない人たちはほっておくしかないのではないかと考えています。

たぶんそうするのがいいのだとは思いますが、個人的な事になりますが、私は「ほっとかない」という立場を取ることに決めてしまったのです。

私は聖教新聞やグラフSGIが周りに存在する環境で生活しております。だからといって私自身は全然信じておりません(一応、『今のところ』としておきます。)。10年ぐらい前はすごく忙しかったので会合参加への誘いがあっても参加不能でした。5年ぐらい前から少し余裕が出てきて、それで、「そうかってなに?」とネットをさまようになりました。その時に勉強させて頂いたサイトの1つがfreeさんのところでした。そもそも、創価に疑問を持って答えを探していたわけで、自然と私はアンチ側としての目線で、アンチ側のブログを読んでいました。アンチ側のブログ主は過去創価だった人が多く、そういった観点からの記事(日記)は、私の頭にすんなり入ってきました。アンチ側の理論の方が正しいと思っております。

さて、とは言っても創価に関するブログは炎上することが時々?あり、議論は大抵平行線です。私自身ネットで得た理論(創価のここがおかしいといったこと)をリアルで創価な人に言っても、ブログの炎上と同じで決して交わることが無かったのです。

おそらくアンチなブログを書いている元創価の人たちが、アンチの世界にやってこれたのは(いや、たまに戻っていく人もいますが・・・)、その人達が創価に属している時に小さいながらも疑問を持つことが出来たからなのであって、その小さな疑問を持てない(持っていない)創価な人は、アンチの世界にやってこれないのではないか?と思うようになりました。ネットでは、「出来れば創価な人とかかわらない方がいい」という意見は、決して少なくありません。「無理なものは無理」ということが存在する事を受け入れなければいけないのかもしれません。

でも、最初に書いたとおり、私は私の周りの創価の人を「ほっとかない」ことに決めてしまったのでした。

で、次に考えたのは「疑問を持っていない人が疑問を持ち始めるのは如何なる状況においてなのか?」です。そして、“創価な人になったつもり実験”を開始しました。具体的には「創価学会は正しい」として思考する事です。創価の悪口が書かれた文章を読んだときに「どうやったら創価な人は反論するか?どうやったら創価を正当化できるか?」を考えるようにしました。何か選択をしなければいけないときには「ここは呪文(なんみょ~)を唱える時だ!」と思うようにしました。しかし、本当に呪文を唱えてしまうと本当に創価な人になってしまいそうだったので、そこは唱えないようにしてみました。いや、本当に結構危険ですので、時々アンチの精神を取り戻すのにfreeさんとかのブログを読むようにしております。ですので、閉鎖をせずにブログを継続しているfreeさんには、感謝しておりますm(_ _)m 。

元々信仰とは「正しいと思いこめる」のが大事なのであって、その信仰の理論の矛盾点があろうが無かろうが関係ないのではと思えるようになってきました。だから、私の周りの創価の人のみならず、私の心の中で実験のために作り出した“創価な私“は、今もって創価なままです。何か「次の一手」つまり、“創価な私“が小さな疑問を持つに至れる「次の一手」を探している次第です。

村上氏のスピーチは「次の一手」へ繋がっていないかなあ、と、“アンチな私”は思考してみましたが、詰め切れませんでした。


ちなみに、今回freeさんのブログに初カキコしたのは、村上氏のスピーチが曲解・誤読されているのでは?と思ったからです。誰が曲解・誤読しているかというとfreeさんではなく中国新聞の記者です。これは私自身も気を付けていることですが、要約をするときに意味が違ってくることがしばしばあります。悪意を持ってそれをするとき、それは「印象操作」なんて言葉を使います。マスコミとか炎上しているブログとかでもよく見かけます。文章が長くなればなるほど、議論が長くなればなるほど、それを要約するのは難しくなります。もちろん新聞紙面であんな長いスピーチの本文と訳を乗せるのは実際問題無理なのもわかっております。で、せっかくfinalvent氏が全文を訳してくれているので、ご紹介した次第です。

こうして、改めて自分の一連のカキコを見てみると、文量でいうと“荒らし”みたいだと感じております。さりとて、曲解・誤読がない簡潔な文章を作る文才も私には無いわけで・・・。自分で言うのもなんですが、今回の一連のカキコは今迄創価情報を提供してくれているfreeさんへの感謝の気持ちとして受け取って頂ければ幸いです。自分で言うのもなんですが・・・。

また、“創価な人になったつもり実験”に戻ろうと思います。危険になったらまたfreeさんの過去ログを読ませて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致しますm(_ _)m 。
【2009/04/16 21:16】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
あっという間に水曜日ですね。
3月ほど仕事が忙しくないのですが、4月はこどもの学校行事がめじろ押しです。

>たぶんそうするのがいいのだとは思いますが、個人的な事になりますが、私は「ほっとかない」という立場を取ることに決めてしまったのです。

大変な道を選ばれましたね。気をつけなくてはならないのは木曜日にカキコさんも仰っていたように、長年創価学会に全てを捧げている人に下手に気がつかせても「おかしく」なってしまうこと。また積極的にアプローチすると私たちが折伏の時に感じる、圧迫感や脅迫感を創価学会の人も感じてしまうことですね。

>創価の悪口が書かれた文章を読んだときに「どうやったら創価な人は反論するか?どうやったら創価を正当化できるか?」を考えるようにしました。何か選択をしなければいけないときには「ここは呪文(なんみょ~)を唱える時だ!」と思うようにしました。

私は創価学会を体験しましたから、創価のことを悪く書いてある文章を読むと何とも言えない気持ちになることも体験しましたよ。「嘘だ」と。
でも冷静に 色んな情報を読んでみると 創価学会が「嘘をついていた」という事実が分かりました。

>何か「次の一手」つまり、“創価な私“が小さな疑問を持つに至れる「次の一手」を探している次第です。

小さな疑問は外からのアプローチだけではなく、彼らがとても乗り越えられない壁にぶち当たったときに、創価への疑問が出てくることもありますね。

>改めて自分の一連のカキコを見てみると、文量でいうと“荒らし”みたいだと感じております。

そんなことはありません。私は肩書きも学歴も持たない普通の人です。「自分は間違っているかも知れない」といつも自戒し、間違いを指摘されたときには もう一度自分で調べ直しています。おうおうにして間違いを指摘して下さる人は「関係が悪くなるかも知れない」「馬鹿にされるかも知れない」などマイナスなことを覚悟して指摘下さっています。
まあ、アンチ創価ですから私を嗤う為に間違いをあげつらう人もいますけれどね。笑)

>また、“創価な人になったつもり実験”に戻ろうと思います。危険になったらまたfreeさんの過去ログを読ませて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致しますm(_ _)m 。

なんとも、私のblogがお役にたっていたようで励みになります。また、心の中で自分が創価に流される人のアンカー(錨)の役目が出来ればいいと思っていたことが、伝わっていることに静かな喜びを感じました。
【2009/04/22 20:49】 URL | free #-[ 編集]
村上春樹氏がお好きなら 最近私がはまっている梨木香歩さんの『沼地のある森を抜けて』はいかがでしょう。私は似ている気が致しました。

彼女の「ぐるりのこと」を読んで創価問題解決のヒントがある気が致します。 (引用)

P127
 日本の男性には-それが必ずしもマイナスばかりではないが-求心力のあるリーダーを待ち望み、まるで磁石を突っ込まれた砂鉄のように、それが見つかるやいなや即座に呼応して、自ら進んで組織の一部になろうとする遺伝子があるのでは、という気がするときがある(個人においてだけではなく、政府の外交方針まで)。強く尊敬の出来るリーダーに忠誠を尽くし、信頼され、安定した群れでの居場所を確保したいという。いや、これは日本だけではなくて、風土に儒教的な何かが浸み込んだ、東北アジア全域に見られる傾向かも知れない。司馬遷の「士は己を知るものの為に死す」の如く、自分を認め、愛してくれたら命がけで働く、のだ。
 そういう人には、基本的に信頼できる、ある誠実さがあると確かに思う。だがその延長線上で、(個の確立が特徴的とされる欧米に比して)アジア社会には、身内を大事にしすぎ、血筋でなければよりかわいげのある男性が出世し、またその人物が身内もしくはかわいげのある男性を重用するという悪循環で、社会を先細りさせる特徴もある。

P134
(free注 薩摩藩の黒糖をめぐる凄まじい搾取は、沖縄も有名だけれど奄美大島においてもそれはそれは過酷だった。旧薩摩藩は、民間商社の体制をとった「大島商社」をつくり今までと変わらぬ圧制を行おうとした。島民達は西郷を頼ってこれを訴えようとするのだがこれは見当違いだった。大島商社を裏で組織していたのは西郷隆盛だった)
宮澤賢治の例を引くまでもなく、一人の人間を神格化して崇める、という行為には、自分で考える努力を放棄し、判断し決定する責任を他に押しつけた怠惰のにおいがする。どんな人間にだって苦悩し迷いも過ちもあったはずで、その試行錯誤の過程を等身大の同じ人間として受け入れたい。安易な神格化は軍隊内での苛めのような歪みを生み易くする。心理的な上位を作ってしまえば、必ず下もつくらなければすまなくなる。無意識の卑屈がどこかで相殺されることも求め始めるから。人は誰かを崇めるだけではバランスがとれなくなりがちなのだ。どんな相手でも、一人の人間として受けとめようとする努力を、放棄するわけにはいかない。
 無私の精神、という謳い文句は、個人を「群れ化」させていく方向性とパラレルだ。その微妙な差異に敏感でありたい。マインド・コントロール的に煽られて、「考える」努力を放棄することはするまい。彼を神格化し盲信し、今の時代に彼のような人間こそ、というのはあまりにもナイーヴだ。西郷隆盛的、という、居るだけでそこに自然に手足となるような崇拝者群れをつくってしまう在り方が、(一部で叫ばれるように)これからの日本人の目指す成熟した大人の在り方とは思えない。目的の場所は過去にはない。モデルは自分でつくっていく。

長い長い間、東北アジアの大地に浸み込んだ儒教精神で、いちばん人を安定させ得たファクターは、やはり、先祖から自分を経由して子孫にまで連綿と続いていく、その根っこの感覚、連続して在る、という感覚だろう。同じように、土俗的母性にも、「所属している」という感覚にも、その安定感はある。だからきっと、理性とは別の何かが、否応なくそれに惹き付けられていくのだ。
P135
 ヒトという、この本来、なぜ自分がここにいるのかすら甚だ心許ない、不安定きわまりない動物が、常に欲し、根元的に求めているのが、この「安定」しているという感覚だとしたら、受け入れられていること(できることなら)愛されてあること、一体感、帰属感、そしてその個を統合する全体性への強いあこがれを禁じ得ないものだとしたら、そのための「群れ」だとしたら、しかももはやその「群れ」に、人を健やかに安定させる力が消え失せているとしたら、もう、「群れ」る必要はない。
 その組織性が暴走し、本来その組織性が保証するはずだった精神的・社会的安定を個から奪い、更にこの生命すら道具に使うようになったら、それは「必要悪」の次元を遙かに超えている。そうなったら「群れ」にはもう忠誠を尽くす必要はないのだ。

そうなったらもう、「群れ」もトップも、個には必要ではないのだ。 (引用終わり)

梨木香歩さんの「裏庭」・よしもとばななさんの「彼女について」等 なんとなく新興宗教にはまってしまった2世3世さんにも読んで頂きたい本です。

私もまた「どうしたら熱心な信者さんに気がついてもらえるのか」が テーマです。
村上春樹氏が仰るように 愛や思いやり、共感も大事なのですが それだけでは 駄目なようです。
【2009/04/22 20:53】 URL | free #-[ 編集]
freeさん、
ご返事ありがとうございます。

>梨木香歩さんの『沼地のある森を抜けて』
>梨木香歩さんの『ぐるりのこと』
>梨木香歩さんの『裏庭』
>よしもとばななさんの『彼女について』

残念ながら1つも読んだことがありませんです・・・_| ̄|○
なので、コメントは無しということでお願いいたしますm(_ _)m

雪がまた降り出すまでには一冊ぐらいは読みたいのですが・・・。
メモらせて頂きます。φ(..)メモメモ


今回の一連のカキコに対するご返答ありがとうございました。また、何かありましたら宜しくお願い致します。

かしこ、カキコ。
【2009/04/23 22:31】 URL | 基本的に木曜日のみカキコ可 #-[ 編集]
こんにちは~ 

> 残念ながら1つも読んだことがありませんです・・・_| ̄|○
スミマセン、読んでみて感想何かあったら書いて下さると嬉しいなぁ
という下心でご紹介したのです。^^
実は村上春樹さんのメッセージの件でもやらかしたのですが
漫然と読んでおおざっぱに全体をつかむ傾向が私にはあります。
ですから 丁寧に思考しつつ読んでいらっしゃる基本的に木曜日のみカキコ可さんは
どんな印象を持たれるのだろうと 興味があったのでした。m(_ _)m

それと気がつくきっかけですけれど
http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/925_1024107768.html
今は閉鎖された「創価学会を考えよう」の掲示板の
私はこれで学会に疑問を持ちましたスレッド

皆様、すばらしい参加者ですけれど、こちらの31からのPohさんのコメントが私には強烈に印象に残っています。「2世3世には戻るべき自我がない」ということは衝撃でした。

ですから、一筋縄ではいかないことを重々気をつけて下さい。
【2009/04/29 11:09】 URL | free #-[ 編集]
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創価学会体験記2


選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

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